清浄明潔
清明の候の山の緑はまだ豊かと形容するほどではなく。
でも、水にあしを浸すのにいちいち躊躇することもなくなったり、雪上に残る動物の足跡の形状をいちいち気にしたりすることもなくなったり、ダウンを着たり脱いだりせずにブルゾンだけで歩けるようになったりという変化はやっぱり心を軽くします。
そして、こうして次第に善男善女の行き交うコースからはずれていくようになるのです。
積もった雪や氷で足元が確かではない厳冬期はやっぱり慎重になります。
辿ったことのない脇道に分け入っていくことはしません。
仁王立ちになってますが、育った町の寺にも立派な山門の両側に年季の入った大きな仁王さんの木像一対がありました。
記憶では朱塗りだったような気がしますがはっきりとは覚えていません。
子どもの頃は「昼に仁王さんのとこに集合」してみんなで野球しにいく、なんて形で親しみましたが、そんな待ち合わせのときだったか、ともだちの一人が木像を見上げながら「金網に閉じ込められてて可哀想だよな」と言ったのでした。
「寺域を魔から守っている」という大人の講釈をそのまま呑みこんでいたぼくには、彼が大人に見えて、差をつけられた気がして軽く嫉妬したのでした。

でも、水にあしを浸すのにいちいち躊躇することもなくなったり、雪上に残る動物の足跡の形状をいちいち気にしたりすることもなくなったり、ダウンを着たり脱いだりせずにブルゾンだけで歩けるようになったりという変化はやっぱり心を軽くします。
そして、こうして次第に善男善女の行き交うコースからはずれていくようになるのです。
積もった雪や氷で足元が確かではない厳冬期はやっぱり慎重になります。
辿ったことのない脇道に分け入っていくことはしません。
仁王立ちになってますが、育った町の寺にも立派な山門の両側に年季の入った大きな仁王さんの木像一対がありました。
記憶では朱塗りだったような気がしますがはっきりとは覚えていません。
子どもの頃は「昼に仁王さんのとこに集合」してみんなで野球しにいく、なんて形で親しみましたが、そんな待ち合わせのときだったか、ともだちの一人が木像を見上げながら「金網に閉じ込められてて可哀想だよな」と言ったのでした。
「寺域を魔から守っている」という大人の講釈をそのまま呑みこんでいたぼくには、彼が大人に見えて、差をつけられた気がして軽く嫉妬したのでした。
