胡蝶の夢1
ひとり北山の野に遊び、春の陽射しに疲れを感じて畝の草上に身を横たえ、れんげの香りを嗅いだことまでは覚えている。
そのまま寝入ってしまったようである。
異変を感じて目覚めた。
横になっていてさえも、日に日に逃れ難くなってきていたけだるさから急に解き放たれたように身が軽いのである。
こんな感じはずいぶん久しぶりのように思う。武蔵野の原を思うまま縦横に駆け回る童子に戻ったような。
全身に壮気が漲っている。中心も爽快に屹立してなにさえぎるものなく蒼天を突いている。
そこまで知覚が回復したところで総司は全身が粟立った。
下帯一つ身につけていないのである。
はねおきるよりも前に傍らにおいたはずの二本に手を伸ばすが、指はむなしく乾いた草を散らすばかりである。
事態が理解できぬまま、両脚をこわばらせて呆然と立ち尽くす総司を包むのはまどろみに落ちる前と同じれんげと土の匂いといくぶんやわらいだ春の陽射しである。
遠くにひばりが啼く。
しかし自失の状態は短かかった。
総司は己が体からすばやく無駄な力みを消しさり、関節を緩めて豹のしなやかさを回復してこの異変に対峙する。
数々踏んだ修羅場の経験の賜物である。
緊張をほどいてみると足裏がむず痒い。地を蹴って飛びたちたくなるような感覚である。
自分の身体感覚を十全に取り戻すため、総司は感じるままに土に足指をめり込ませるほど叩きつけて思い切り跳躍した。
裸身の総司はそのままふわりと宙を飛び路傍の一本松の梢を軽く超えた。
体はどこまでも軽く、感じる風は限りなくやさしく暖かかった。
総司は胡蝶になったようである。
裸身のまま空を飛ぶ人間はいない。突然人間でなくなることは古今と洋の東西問わず呪いと相場が決まっているが、不治の病の先に見えるものと向き合う総司には、重力から解放され、思うまま軽やかに宙を舞う胡蝶に化身したことは呪縛からの解放であり再生であった。
耳朶に張り付く断末魔の絶叫、視界を遮る血煙り、命を切り裂く鋼の鈍い無情な光沢、そうした日々から逃れることを許さない鉄の掟も何もない。
裸身の総司の紛れ込んだ場所を人は人外の魔境と呼ぶかもしれないが、いわば言え、そこは総司の楽園だった。
総司は巡る季節の花々の蜜を吸い、里山に実る果実を食んでもう一つの生を謳歌した。
(続く・・かどうか・・)

そのまま寝入ってしまったようである。
異変を感じて目覚めた。
横になっていてさえも、日に日に逃れ難くなってきていたけだるさから急に解き放たれたように身が軽いのである。
こんな感じはずいぶん久しぶりのように思う。武蔵野の原を思うまま縦横に駆け回る童子に戻ったような。
全身に壮気が漲っている。中心も爽快に屹立してなにさえぎるものなく蒼天を突いている。
そこまで知覚が回復したところで総司は全身が粟立った。
下帯一つ身につけていないのである。
はねおきるよりも前に傍らにおいたはずの二本に手を伸ばすが、指はむなしく乾いた草を散らすばかりである。
事態が理解できぬまま、両脚をこわばらせて呆然と立ち尽くす総司を包むのはまどろみに落ちる前と同じれんげと土の匂いといくぶんやわらいだ春の陽射しである。
遠くにひばりが啼く。
しかし自失の状態は短かかった。
総司は己が体からすばやく無駄な力みを消しさり、関節を緩めて豹のしなやかさを回復してこの異変に対峙する。
数々踏んだ修羅場の経験の賜物である。
緊張をほどいてみると足裏がむず痒い。地を蹴って飛びたちたくなるような感覚である。
自分の身体感覚を十全に取り戻すため、総司は感じるままに土に足指をめり込ませるほど叩きつけて思い切り跳躍した。
裸身の総司はそのままふわりと宙を飛び路傍の一本松の梢を軽く超えた。
体はどこまでも軽く、感じる風は限りなくやさしく暖かかった。
総司は胡蝶になったようである。
裸身のまま空を飛ぶ人間はいない。突然人間でなくなることは古今と洋の東西問わず呪いと相場が決まっているが、不治の病の先に見えるものと向き合う総司には、重力から解放され、思うまま軽やかに宙を舞う胡蝶に化身したことは呪縛からの解放であり再生であった。
耳朶に張り付く断末魔の絶叫、視界を遮る血煙り、命を切り裂く鋼の鈍い無情な光沢、そうした日々から逃れることを許さない鉄の掟も何もない。
裸身の総司の紛れ込んだ場所を人は人外の魔境と呼ぶかもしれないが、いわば言え、そこは総司の楽園だった。
総司は巡る季節の花々の蜜を吸い、里山に実る果実を食んでもう一つの生を謳歌した。
(続く・・かどうか・・)
