胡蝶の夢2
総司が蝶に化生して人外の境に遊ぶこと幾歳に及んだであろうか。
すでに栄達にも大儀にも義務にも思いを致すこともなく、女への恋慕も、縁ありし者たちへの思慕もない。
あの寝覚めの折に消え失せていた衣服とともに全て脱ぎ棄ててしまったようである。
ただひたすらに昼は光を浴びて絶えることなく咲き、実る種々の花々と果実に身を養い、夜は翅の中に身を休めるだけの日々である。
純粋に生命を燃焼させるこの瞬間瞬間の積み重ねを歓び、明日への絶望ともまた表裏一体の希望とも無縁の生を生きている。
ただ一つの例外がれんげである。
幾度季節がめぐっても、総司はこの匂いになにかかすかに禍々しい記憶を呼び覚まされるような落ち着かないものを感じることがあった。
常春と言ってもよいこの桃源郷にもやはり多少の四季の移ろいはある。
花々も果実もいっときだけ絶える短い冬をやり過ごし、日のあるうちは思うままに花の間を飛び回ることのできる季節の幕開けを告げるのは、この郷にあってもやはりれんげの斉放である。
野が見はるかすばかりのれんげの紫に彩られたその日の午後、総司はれんげの蜜に酔い、その花弁の下に春の強い日差しをさけるために土の上に舞い降りてしばし翅を休めてまどろんでいた。
その背後には百足が迫っていた。
脛に鋭い痛みを感じて総司は跳ね起きた。
はねおきる前にすでに左手には鞘を掴み、右手が柄にかかっているのはさすがである。
ざざざと乾いた音を立てつつ大きな百足が逃げてゆくのが見えた。
陽はすでに西に傾き、煩わしいほどの光に溢れていた野はすでに暮色が濃くなっている。
この瞬間、総司は蝶として生きた歳月が夢であったことを悟った。
しかし生の歓びに満ちたあの日々が真実であり、立ち戻ったこの現世こそが一時の夢であって欲しいとも思うのだった。
しかしここが現実の世界であるのは、すでに右脚すねの咬み跡を中心として鈍い痛みが広がりつつあることでも明らかである。
袴の裾の草を払って歩き始めた総司の中で一つの思惟が少しずつ形を成しつつある。
裸身の蝶となって思うままに生命を燃焼した自分も、病に苦吟しながら修羅の巷に剣戟をふるう自分と同じく真実の姿なのである。
この世は一つではなく、幾筋もの流れが交わることなく流れており、その景色は一筋ずつ異なる。
その流れのそれぞれに異なる命を生きる真実の己がいるのではないか。
総司の中ではようやく己が命の終わりを直視する勇気が生まれようとしている。
故郷へ帰ろうと思った。
(おわり)
駄作にお付き合いいただきありがとうございました。
先週、杉林の根方に白い可憐な花の群落を見つけて写真を撮って帰り、この花に「胡蝶花」という優雅な一名があるのを知ったところから、司馬遼太郎の「胡蝶の夢」を思い出し、さらにその語源となった荘子の「胡蝶の夢」を知りました。そこに着想して書きなぐった乱文です。
あまりなじみのない荘子ではなく、知名度の高い新撰組の沖田総司に主人公を替えてます。
語呂合わせです。沖田総司ファンの方、すみません。
ちなみに沖田は結核に倒れています。病気というのはそのことです。
荘子の「胡蝶の夢」は検索するとすぐ出てきますので興味もたれた方は調べてみてください。
後日、この駄作は削除しちゃうかもしれません。
あの寝覚めの折に消え失せていた衣服とともに全て脱ぎ棄ててしまったようである。
ただひたすらに昼は光を浴びて絶えることなく咲き、実る種々の花々と果実に身を養い、夜は翅の中に身を休めるだけの日々である。
純粋に生命を燃焼させるこの瞬間瞬間の積み重ねを歓び、明日への絶望ともまた表裏一体の希望とも無縁の生を生きている。
ただ一つの例外がれんげである。
幾度季節がめぐっても、総司はこの匂いになにかかすかに禍々しい記憶を呼び覚まされるような落ち着かないものを感じることがあった。
常春と言ってもよいこの桃源郷にもやはり多少の四季の移ろいはある。
花々も果実もいっときだけ絶える短い冬をやり過ごし、日のあるうちは思うままに花の間を飛び回ることのできる季節の幕開けを告げるのは、この郷にあってもやはりれんげの斉放である。
野が見はるかすばかりのれんげの紫に彩られたその日の午後、総司はれんげの蜜に酔い、その花弁の下に春の強い日差しをさけるために土の上に舞い降りてしばし翅を休めてまどろんでいた。
その背後には百足が迫っていた。
脛に鋭い痛みを感じて総司は跳ね起きた。
はねおきる前にすでに左手には鞘を掴み、右手が柄にかかっているのはさすがである。
ざざざと乾いた音を立てつつ大きな百足が逃げてゆくのが見えた。
陽はすでに西に傾き、煩わしいほどの光に溢れていた野はすでに暮色が濃くなっている。
この瞬間、総司は蝶として生きた歳月が夢であったことを悟った。
しかし生の歓びに満ちたあの日々が真実であり、立ち戻ったこの現世こそが一時の夢であって欲しいとも思うのだった。
しかしここが現実の世界であるのは、すでに右脚すねの咬み跡を中心として鈍い痛みが広がりつつあることでも明らかである。
袴の裾の草を払って歩き始めた総司の中で一つの思惟が少しずつ形を成しつつある。
裸身の蝶となって思うままに生命を燃焼した自分も、病に苦吟しながら修羅の巷に剣戟をふるう自分と同じく真実の姿なのである。
この世は一つではなく、幾筋もの流れが交わることなく流れており、その景色は一筋ずつ異なる。
その流れのそれぞれに異なる命を生きる真実の己がいるのではないか。
総司の中ではようやく己が命の終わりを直視する勇気が生まれようとしている。
故郷へ帰ろうと思った。
(おわり)
駄作にお付き合いいただきありがとうございました。
先週、杉林の根方に白い可憐な花の群落を見つけて写真を撮って帰り、この花に「胡蝶花」という優雅な一名があるのを知ったところから、司馬遼太郎の「胡蝶の夢」を思い出し、さらにその語源となった荘子の「胡蝶の夢」を知りました。そこに着想して書きなぐった乱文です。
あまりなじみのない荘子ではなく、知名度の高い新撰組の沖田総司に主人公を替えてます。
語呂合わせです。沖田総司ファンの方、すみません。
ちなみに沖田は結核に倒れています。病気というのはそのことです。
荘子の「胡蝶の夢」は検索するとすぐ出てきますので興味もたれた方は調べてみてください。
後日、この駄作は削除しちゃうかもしれません。