砂礫の山で1
この場所はたぶん今までの写真の中で一番生命の営みの痕跡を感じにくい場所でしょう。
このブログの写真は野山、渓流といった生命の横溢する場所が多いです。
背景に緑が見えなくとも土が見えていれば、その中には億兆の土壌微生物がひしめいています。
また海の岩場の写真なら足元には磯の生物たちがいます。
砂浜の写真なら足元を濡らすのは海中・地上を問わず無数の命をはぐくんできた海水です。
ただ、この場所はそういう生命の存在を感じにくい、見渡す限りの砂礫の丘です。
起伏に富んだ地形は白い砂礫で覆い尽くされていて、素足で歩くと足裏を切り裂きそうになります。
小動物も好んで起居する場所ではなさそうです。
そういう場所にはだかで立つのはやはり他の場所とは別種の趣向があります。
生命のあふれる場所で撮影するときは、そこにすまう沢山の意識と交流するような気持ちになります。
微細に過ぎて視覚に捉えられない命や、もともと目に見えない存在も含めて。
そうした沢山の意識に対して自己紹介して、ここに遊ぶことを許してもらう。
そんな意識で撮影しています。
そのせいか深い山中でひとりでも「寂しい」と感じることはほとんどありません。
でもこういう荒涼とした場所に立つと、なんというか一神教の神様的な、双方向的な交流が許されない存在にじっと見られているようなそんな感覚になります。
案内してくれたnishiくんがいなかったら恐怖を感じたかもしれない、そんな場所です。

このブログの写真は野山、渓流といった生命の横溢する場所が多いです。
背景に緑が見えなくとも土が見えていれば、その中には億兆の土壌微生物がひしめいています。
また海の岩場の写真なら足元には磯の生物たちがいます。
砂浜の写真なら足元を濡らすのは海中・地上を問わず無数の命をはぐくんできた海水です。
ただ、この場所はそういう生命の存在を感じにくい、見渡す限りの砂礫の丘です。
起伏に富んだ地形は白い砂礫で覆い尽くされていて、素足で歩くと足裏を切り裂きそうになります。
小動物も好んで起居する場所ではなさそうです。
そういう場所にはだかで立つのはやはり他の場所とは別種の趣向があります。
生命のあふれる場所で撮影するときは、そこにすまう沢山の意識と交流するような気持ちになります。
微細に過ぎて視覚に捉えられない命や、もともと目に見えない存在も含めて。
そうした沢山の意識に対して自己紹介して、ここに遊ぶことを許してもらう。
そんな意識で撮影しています。
そのせいか深い山中でひとりでも「寂しい」と感じることはほとんどありません。
でもこういう荒涼とした場所に立つと、なんというか一神教の神様的な、双方向的な交流が許されない存在にじっと見られているようなそんな感覚になります。
案内してくれたnishiくんがいなかったら恐怖を感じたかもしれない、そんな場所です。
