夕涼み
子どもの頃の夏の記憶では、陽が落ちると気温がぐっと下がって昨今の夏よりも過ごしやすかったような気がします。
こうしてはだかで縁側で風にからだをなぶらせておくと、肌はさらさらと風を受け流していたような。
いつ頃からか陽が落ちようと沈もうと、肌はじっとりと汗ばんだままになってしまいました。
・・とそんなふうに感じているのですがどうでしょうね。
気候が変わったのか、からだが、感覚が変わってきたのか。
記憶が間違っているだけなのか。
実際のところはなにがどう変わったのか、変わっていないのかを私たちは正確に理解できているのでしょうか。
凶悪事件は増えているのか、減っているのか。
その動機は時代とともに変わってきているのか、深層では変わっていないのか。
社会やシステムは犯罪に対して強靭になっているのか、脆弱になっているのか。
・・とかですね。
やっぱりこういうことをせめてデータできちんと分析しておかないと、ですね。
分析しても、次々と新しい事象から挑戦を受けるので「もうええやろ。役に立たんし。」と分析疲れしてしまって
「おかしい人が許せないことをした」というだけで済ませてしまおうという気分が世間を覆っているような気がします。
役に立っているのか立っていないのかよくわからない監視カメラばかり増えてきているような気がします。
ナチュリストにとってはますます息苦しい・・・・ってもちろんそこを言いたいわけではないですが。

こうしてはだかで縁側で風にからだをなぶらせておくと、肌はさらさらと風を受け流していたような。
いつ頃からか陽が落ちようと沈もうと、肌はじっとりと汗ばんだままになってしまいました。
・・とそんなふうに感じているのですがどうでしょうね。
気候が変わったのか、からだが、感覚が変わってきたのか。
記憶が間違っているだけなのか。
実際のところはなにがどう変わったのか、変わっていないのかを私たちは正確に理解できているのでしょうか。
凶悪事件は増えているのか、減っているのか。
その動機は時代とともに変わってきているのか、深層では変わっていないのか。
社会やシステムは犯罪に対して強靭になっているのか、脆弱になっているのか。
・・とかですね。
やっぱりこういうことをせめてデータできちんと分析しておかないと、ですね。
分析しても、次々と新しい事象から挑戦を受けるので「もうええやろ。役に立たんし。」と分析疲れしてしまって
「おかしい人が許せないことをした」というだけで済ませてしまおうという気分が世間を覆っているような気がします。
役に立っているのか立っていないのかよくわからない監視カメラばかり増えてきているような気がします。
ナチュリストにとってはますます息苦しい・・・・ってもちろんそこを言いたいわけではないですが。
