青光の美瀑-盛夏1
何度見ても飽きない滝です。
半分氷結した頃合いを見計らって厳冬期に訪ねたこともあります。
その時は、今回の写真でぼくが膝をついている岩も川底も薄氷に覆われていて、一歩間違って転倒でもすれば怪我するところでしたがなんとか危ういバランスを保って無事に撮影を終えて帰ってきました。
今回はそのときに比べればだいぶ気楽でした。
このブログを見に来てくださる皆さんの多くは必ずしも背景重視ではないことはわかってるんですが、ぼく自身は自分の体をこういう大きな景観の中の、ちょっと目立つ闖入者のように配置した写真も好きです。
明らかに異物なんですけどそれで良いと思ってます。
この世界を構成する諸々の要素に受け入れてもらいたいという思いをもって一番無防備な姿でその世界の中に入っていっています。
神域に一礼して入れていただくような感覚です。
そして現場では周囲の世界との間で、無数の無音の対話が存在しているように感じています。
その現場の記憶のあるぼくは、この写真からその時の対話の歓びとか、一時受け入れてもらえたという幸福な記憶を追体験させてもらえるんです。
そういう感性が開いていない状態で撮影する時もあります。
その時に撮った写真には「自然に拒否されている感じがする」とコメントがついてはっとさせられました。

半分氷結した頃合いを見計らって厳冬期に訪ねたこともあります。
その時は、今回の写真でぼくが膝をついている岩も川底も薄氷に覆われていて、一歩間違って転倒でもすれば怪我するところでしたがなんとか危ういバランスを保って無事に撮影を終えて帰ってきました。
今回はそのときに比べればだいぶ気楽でした。
このブログを見に来てくださる皆さんの多くは必ずしも背景重視ではないことはわかってるんですが、ぼく自身は自分の体をこういう大きな景観の中の、ちょっと目立つ闖入者のように配置した写真も好きです。
明らかに異物なんですけどそれで良いと思ってます。
この世界を構成する諸々の要素に受け入れてもらいたいという思いをもって一番無防備な姿でその世界の中に入っていっています。
神域に一礼して入れていただくような感覚です。
そして現場では周囲の世界との間で、無数の無音の対話が存在しているように感じています。
その現場の記憶のあるぼくは、この写真からその時の対話の歓びとか、一時受け入れてもらえたという幸福な記憶を追体験させてもらえるんです。
そういう感性が開いていない状態で撮影する時もあります。
その時に撮った写真には「自然に拒否されている感じがする」とコメントがついてはっとさせられました。
