サムネイルで見ると、オナモミみたいに衣類にくっつきそうですが、大きいと動物もすぐに気付いて落とされそうにも思います。
今って、知らない植物でもオンラインで写真検索できるし、下手すると記憶から色や形を表現して写真で探すとか簡単ですよね。
匂いで気になるものは流石にそれだけでは無理ですが…。
平成初期までの図鑑って、イラストが多くて白黒写真ひとつだけとかで、ロープの結び方も植物の特徴も、簡略化されたマジックの白黒イラストだけでは本当に合っているのかも謎だらけでした。
ネクタイの結び方、ロープの結び方は途中が飛んでいると???で間違ってしまったり、食べられる植物やキノコも類似の毒植物と違いもわからない??実物ともほど遠いイラストだけだったり。
CD ROMになって、鳥はカラーの写真が使われているので色まで正確に分かるようになりましたし、鳴き声も掲載されるようになりました。
インターネットが使えるようになって、大きな広辞苑を買わなくてももっと詳しく情報が入るし、写真や動画であらゆる情報がかなり詳細に探し出せるので、それまで本棚に誇らしく飾っていた大きな資料がほとんど要らなくなりました。
今ではケータイで調べてその場で手紙の作法や正しい漢字も一瞬で手に入る時代、紙媒体は補助的な役割か満足感のためみたいになっています。
書物は完全に否定するわけでは無いけれど、よほど専門性のあるもの以外はネットの方が複数の情報を比べやすいし場所や時間を問わないので、アナログだけの人よりも情報の幅は広がりやすいですね。
全然方向性の違う話ですいません。
ジョージさん、こんばんは。
すごく昔は文庫本でさえ「間に合わせだ」という扱いをされていたようで角川文庫の巻末には「本当の読書は文庫のあとからだ」みたいなことが書いてあった記憶があります。
全集でも読むのが本当だ、みたいな意味かなと思っていましたが、その時代から見るとほんとに隔世の感です。
「ネット情報は嘘、中途半端が多くて研究・仕事の用には立たない」というご意見もありますが、玉石混交だということも頭に入れておいて、でもネットを活用しないではもう生活が成り立たないですよね。
それで浮いた時間を使って、情報の質と量を追求することもできますしね。
でもYoutubeなどで特定の立場の意見を集中的に聞いていると、AIがどんどんその確信を深めるような番組を紹介してくるために確信が高まってしまい、結果的に特定の見解で凝り固まった「釜」に頭を突っ込んだ状態になってしまう、ということはあるようです。
便利になった分、思考の主体性(なんてもんがあるとして、ですが)を維持しにくくなるってことはあるように思います。
甲斐さんのタイサンボクも
大きくなっているのかな==??
気楽なおじさん、こんばんは。
残念ながらあまり成長していません。