再生
GW真っ最中に撮ったとも思えない荒涼とした背景です。
ひとりでふらっと遊びにきた高原です。
撮影ポイントの目星がついているわけでもなく、行ってみてどこか適当なところで撮ってくることが多いです。
知らない土地だし、遭遇・目撃リスクをつぶしきることはできません。
どこかで思いきらないと撮影はできません。
ここも実は右手方向は大きく開けていて百メートル近くはなれた斜め上方には、山肌に沿った細い山道が続いていて、そこを通る人が眼下に注意を向けたら丸見えなんですが、標高が高すぎてまだまだ寒くて花が楽しめるわけでもないその山道を歩く人はまだ5月といえども少ないです。
背景がちょっと寒々しいけど、この写真は今の自分のありようをとてもうまく映し撮れているように感じています。
見渡す限り人工物の見当たらない視界の開け切ったしらない土地で全身を寒気にさらすという解放感と緊張感が、演出・作為とか自意識とかを押し流したら奥底のほうにいた自分が出てきてしまった、というような感じです。
もちろんぼく自身にしかわからないことなんですが。
最近はあまり聞かなくなった言葉ですが「自分探しの旅」でもあったと思います。このブログ。
ぼくの場合はインドじゃなくてこういう旅だったわけです。

ひとりでふらっと遊びにきた高原です。
撮影ポイントの目星がついているわけでもなく、行ってみてどこか適当なところで撮ってくることが多いです。
知らない土地だし、遭遇・目撃リスクをつぶしきることはできません。
どこかで思いきらないと撮影はできません。
ここも実は右手方向は大きく開けていて百メートル近くはなれた斜め上方には、山肌に沿った細い山道が続いていて、そこを通る人が眼下に注意を向けたら丸見えなんですが、標高が高すぎてまだまだ寒くて花が楽しめるわけでもないその山道を歩く人はまだ5月といえども少ないです。
背景がちょっと寒々しいけど、この写真は今の自分のありようをとてもうまく映し撮れているように感じています。
見渡す限り人工物の見当たらない視界の開け切ったしらない土地で全身を寒気にさらすという解放感と緊張感が、演出・作為とか自意識とかを押し流したら奥底のほうにいた自分が出てきてしまった、というような感じです。
もちろんぼく自身にしかわからないことなんですが。
最近はあまり聞かなくなった言葉ですが「自分探しの旅」でもあったと思います。このブログ。
ぼくの場合はインドじゃなくてこういう旅だったわけです。
