翡翠渓谷4
七重八重 花は咲けども山吹の 実のひとつだになきぞかなしき
後拾遺集におさめられたとある親王の詠み歌ですが、ずっと時代が下って、ある有力武将がにわか雨の山中で寄った家で蓑(みの)を所望した際に、出てきた少女に一枝の山吹を献じられて「花がほしいわけではない」と怒って帰ったという故事で有名です。
少女は「実の一つだにない山吹」に「貸せる蓑ひとつない貧しさ」を掛けていたわけですが、武将は帰城後にその暗喩を家来に謎解きされて無知を恥じ、その少女を和歌の師として招いた、ということになっています。
詩文が一部の文芸趣味の同好の士の中でやりとりされるものとなった現在では、なにか現実離れした話のように聞こえますが、和歌が必須の教養で、またその言霊が現実を動かすかに思われていた時代の話なのでありうることのように思います。
こちとら「蓑がない」どころの話じゃありません。「身にひとつだになきぞたのしき」といったところです。
それだと山吹がうまくつながりませんが。
まーよろしいではありませんか。
山吹はぼくの好きな花です。
育った家の庭に八重咲きの山吹が植えてあって、夏気がきざすと、針金のような細くて硬い枝に一斉に華やかな黄色の花をつけます。
我が家のささやかな庭に控えめな「豪華絢爛」が突然出現するようで、それが楽しかったんです。
別れ難い翡翠渓谷への餞別として大好きな山吹を献じることができて、ささやかな幸福を感じました。
