爽気漲る1
常に雲ひとつない澄み切った蒼天のもと、迷いのない気持ちで歩いていたいものです。
誰でもそうだと思いますが、でも実際はそうは問屋がおろしません。
社会制度とか、環境とか(の影響ももちろんありますが)の問題じゃなく、取り組まざるを得ない課題を前にして迷い、悩み、苦しむことが人生の設計図の中に書き込まれているように思います。
そういうものと正面から対峙して乗り越えたり、敗れたり、向き合わずに避けたり、といろいろな選択がありますが、避けると課題が追いかけてきたりもします。
自分に示された課題とどう向き合うかを決めるプロセスは孤独なものです。
ごく若いときは友だちに相談したり、女子だと占いをやってみたりもするわけですが、眼前の課題がまさに自分のために用意されたものであることを自覚するとそうしたアプローチは次第に退いていくのではないかと思います。
ぼくの場合はその頃から、苦しいときに自然の中に入っていくことが増えました。
人工的な音に邪魔されない静寂の中で無心に山道を歩くとき、自分の思考が澄んでいって、何を大切にして道を選ぶのが良いか、自分はどうしたいのか、が整理されてくるような気がします。
雪に覆われた世界は、その静謐でぴんと張り詰めたような澄明な空気が、なお一層雑念を取り去ってくれるようで好きです。爽やかな気分がみなぎってこころが元気を取り戻します。
こうして雑念だらけのブロガーは今日も雪山で服を脱ぐのでした。

誰でもそうだと思いますが、でも実際はそうは問屋がおろしません。
社会制度とか、環境とか(の影響ももちろんありますが)の問題じゃなく、取り組まざるを得ない課題を前にして迷い、悩み、苦しむことが人生の設計図の中に書き込まれているように思います。
そういうものと正面から対峙して乗り越えたり、敗れたり、向き合わずに避けたり、といろいろな選択がありますが、避けると課題が追いかけてきたりもします。
自分に示された課題とどう向き合うかを決めるプロセスは孤独なものです。
ごく若いときは友だちに相談したり、女子だと占いをやってみたりもするわけですが、眼前の課題がまさに自分のために用意されたものであることを自覚するとそうしたアプローチは次第に退いていくのではないかと思います。
ぼくの場合はその頃から、苦しいときに自然の中に入っていくことが増えました。
人工的な音に邪魔されない静寂の中で無心に山道を歩くとき、自分の思考が澄んでいって、何を大切にして道を選ぶのが良いか、自分はどうしたいのか、が整理されてくるような気がします。
雪に覆われた世界は、その静謐でぴんと張り詰めたような澄明な空気が、なお一層雑念を取り去ってくれるようで好きです。爽やかな気分がみなぎってこころが元気を取り戻します。
こうして雑念だらけのブロガーは今日も雪山で服を脱ぐのでした。
