影と歩む
まだ20代の前半くらいまでは、ひとには陽のあたる場所を歩む人と、陽の当らない場所を歩む人がいるかのように思っていました。
誰にも影の部分があるということがわかっていなかったような感じです。
オールオアナッシングなんじゃないかと思っていました。
格差の広がりと固定化がかなり顕著に見えてきて、そういう社会に近づいている、ということはあると思いますが、当時の思い込みはそういう視点ではないですね。
そういう社会的な視点もまったく無関係ではないですけど。
そういう思い込みは、人の中でもまれながらまっとうに生きる努力を続けていれば自然に消えてなくなるもんだと思いますが。
いまでは、影の部分がその人の精神生活の糧となっていたり、表現欲求を満たすことで人格を全体として安定させてるという面もあるかなと思っています。
このサイトなんかはぼくにとってはそういうものかもしれません。
そろそろ記事更新も500回数えようとしています。

誰にも影の部分があるということがわかっていなかったような感じです。
オールオアナッシングなんじゃないかと思っていました。
格差の広がりと固定化がかなり顕著に見えてきて、そういう社会に近づいている、ということはあると思いますが、当時の思い込みはそういう視点ではないですね。
そういう社会的な視点もまったく無関係ではないですけど。
そういう思い込みは、人の中でもまれながらまっとうに生きる努力を続けていれば自然に消えてなくなるもんだと思いますが。
いまでは、影の部分がその人の精神生活の糧となっていたり、表現欲求を満たすことで人格を全体として安定させてるという面もあるかなと思っています。
このサイトなんかはぼくにとってはそういうものかもしれません。
そろそろ記事更新も500回数えようとしています。
