禊ぐ滝壺
雨空に合わせて、雨に打たれるごとく落水に濡れる滝壺の写真で。
たしか実際に小雨にも降られていました。
最近の記事に書いた「ボール大の落石とニアミスした」のはこの滝に向かう途中でした。
美しい滝でそんなに険しい場所でもないので何回か通いましたが、イノシシに近接して並走されたり、すぐ背後を走り抜けられたりしていて結構ひやっとすることの多い場所です。
これは昨年のちょうど今日辺りに撮ったんですが、記録を見るとこの日はハーフパンツで山に入っていて。
今年は昨年までの数年より気温が低いようですね。
公園の木々の葉の色づきも早いような気がします。
滝は「禊ぎ」というほどの迫力でもないですが、滝浴するときはいつもそんな心境になります。
いや別に普段すごく悪いことして過ごしてるわけではないですよ。
「禊」で検索かけたらこんな歌が出てきました。
飛鳥川ゆくせの浪にみそぎしてはやくぞ年のなかばすぎぬる 定家
「年のなかば」と歌っているので盛夏の候の歌でしょうか。
ぼくの場合は夏を越してはじめて過ごした日月の長さに思いいたるのが常で、この歌は涼風を迎えたいまの自分の心境にしっくりと来ます。
みそぎする滝より見ゆる山の背の秋の光ぞ足早に去る
みたいな心境です。

たしか実際に小雨にも降られていました。
最近の記事に書いた「ボール大の落石とニアミスした」のはこの滝に向かう途中でした。
美しい滝でそんなに険しい場所でもないので何回か通いましたが、イノシシに近接して並走されたり、すぐ背後を走り抜けられたりしていて結構ひやっとすることの多い場所です。
これは昨年のちょうど今日辺りに撮ったんですが、記録を見るとこの日はハーフパンツで山に入っていて。
今年は昨年までの数年より気温が低いようですね。
公園の木々の葉の色づきも早いような気がします。
滝は「禊ぎ」というほどの迫力でもないですが、滝浴するときはいつもそんな心境になります。
いや別に普段すごく悪いことして過ごしてるわけではないですよ。
「禊」で検索かけたらこんな歌が出てきました。
飛鳥川ゆくせの浪にみそぎしてはやくぞ年のなかばすぎぬる 定家
「年のなかば」と歌っているので盛夏の候の歌でしょうか。
ぼくの場合は夏を越してはじめて過ごした日月の長さに思いいたるのが常で、この歌は涼風を迎えたいまの自分の心境にしっくりと来ます。
みそぎする滝より見ゆる山の背の秋の光ぞ足早に去る
みたいな心境です。
