山猿紀行5
山猿が脳天気に山中で遊んでいる間に、下の世界は大騒動になっていたようです。
思い出したんですがここまで登ってくる途中、登山口の手前に古戦場跡を示す解説の看板がありました。
平安末期に抗争した2氏族の末流がこの地方の隣り合った山にそれぞれ集落を作り長い間対立してきたが、400年後にそれぞれの祖先の大儀を掲げて遂に合戦となり、数百人の犠牲者を出した、と書いてありました。
でも山間部の、物成り豊かとは思えない地域で十世代以上も大儀を奉じて対立を続けるような贅沢ができたとは思えず、実際のところは耕作地とか薪炭のための入会(いりあい)権とか水利とか通行権とかの実利を巡って対立してきたんだろうなーと勝手に想像しました。
太い藤づるを伝い登って平野部の抗争を眺めながら、そんなこんなに思いを巡らす山猿なのでした。
