立標
今日はほんの数日前に撮った写真です。
これはぼくが作ったオブジェではありません。
強風で横倒しになった杉の根っこに落ち枝が引っ掛かってできたものでしょう。
どなたかが手を加えたのかもしれません。
でも林道沿いではない、普通は人が足を踏み入れないはずの場所ではあります。
これを見つけたとき、一種の共時性を感じた、と申しますか。
クリスチャンでもないぼくですが、このタイミングでこの自然のオブジェと出逢ったことの意味があるはず、と反射的に思いました。
なにかを感じろ、いうこと?と。
世界中で多くの方が流行り病で亡くなっていると報道されています。
また現在のところは真偽定かならぬものの水面下で流布している、暗黒のうわさとその犠牲者のこと。
そしてその根底には宗教の問題が横たわっているであろうことなど。
そんなことを連想させた自然のオブジェです。
ぼくは、犠牲となった方々を悼みつつも明るみに向けて歩みを進める時が来ている、と解釈することにしました。
一見すると墓標に見えないこともないクロスの出現がメッセージであるならば、森にはまぶしいほどの陽光が射しこんでいることや爽やかな新緑もまたメッセージであると感じたのです。
明日も記事を投稿予約しておりますので、よろしければどうぞいらっしゃってください。

これはぼくが作ったオブジェではありません。
強風で横倒しになった杉の根っこに落ち枝が引っ掛かってできたものでしょう。
どなたかが手を加えたのかもしれません。
でも林道沿いではない、普通は人が足を踏み入れないはずの場所ではあります。
これを見つけたとき、一種の共時性を感じた、と申しますか。
クリスチャンでもないぼくですが、このタイミングでこの自然のオブジェと出逢ったことの意味があるはず、と反射的に思いました。
なにかを感じろ、いうこと?と。
世界中で多くの方が流行り病で亡くなっていると報道されています。
また現在のところは真偽定かならぬものの水面下で流布している、暗黒のうわさとその犠牲者のこと。
そしてその根底には宗教の問題が横たわっているであろうことなど。
そんなことを連想させた自然のオブジェです。
ぼくは、犠牲となった方々を悼みつつも明るみに向けて歩みを進める時が来ている、と解釈することにしました。
一見すると墓標に見えないこともないクロスの出現がメッセージであるならば、森にはまぶしいほどの陽光が射しこんでいることや爽やかな新緑もまたメッセージであると感じたのです。
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